競馬情景

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JRAの新聞広告

JRAの新聞広告が泣ける。


日本ダービー編「誰だって誰かの子どもだ」。 (PDF)

二代制覇も、血のロマンも、クソくらえだ。
父へのオマージュ
で僕たちは生きているわけじゃない。


この胸がざわざわする感じはなんだ。
僕は何に震えているのだ。
行け。
と思った、唐突に。
運命とか勝負とか、
そんなものぜんぶ放り投げてどこまでも行けばいい。


当たり前だけれど、すべての男の子は誰かの息子なんだ。
そのときはじめて僕はわかったのだ。
僕が生まれた日は、僕にとっての記念日ではなく
両親にとっての記念日ではないか。


あの午後だったと思う。
僕も子どもをもとう、とふいに思ったのは。

(一部抜粋)


JRA 新聞広告を読んでたら、なぜだろう、山際淳司が無性に読みたくなった。


他の新聞広告もいい。

http://www.jra.go.jp/topics/koukoku/

だって才能とはときに、「思いつづける力」の別名ではないか。

(才能と愛は案外似ている。より)

ベガは、脚が曲がっていた「のに」愛されたわけじゃない。
曲がっていた「から」愛されたのだ。

(人は、長所ばかりを好きにならない。より)

競馬は冒険だが、マックイーンは保険なのだ。
言うと、兄は本気で怒った。「お前はわかっとらん」


いつもただ当たり前のように重い使命に応えてゆく
メジロマックイーンに、何を思うのだろう。

(冒険か、保険か。より)

2011年JRA CM 日本ダービー トウカイテイオー

トウカイテイオーJRA CM めっさやってますなぁ。


1991年だから20年前。


パソコンを使い始めたのが、今からちょうど20年前の1991年だった。

まだ、NEC PC-9801シリーズが全盛期だったころ。


一応、入学祝い的な扱いだったけど、父親の知り合いがパソコンを使っているということで、父親自身が欲しくて親戚からの入学祝いなどのお金で買ってしまった、というのが本当のところだったような・・・。

結局、父親はあまりその後使わなくなってしまったので、結果的に(名実ともに?)自分のパソコンという形にはなった。


あれから20年。
今や、インターネットで家に居ながらにしていろんなことが出来てしまう時代。

WIN5に至っては、今のところインターネット投票のみ。


ネットがリアルを超えているのが当たり前の時代。


20年前にキッカケはともかく、パソコンを持ったことが仕事などにつながっている。親には感謝しないと、と再認識。


そんな自分も今年、親になる予定だ。

さらば、テンポイント

後、JRAの広告ページには、他にも懐かしいのが。。

JRAポスター ヒーロー列伝コレクション

「流星の貴公子」


テンポイントといえば、思い出すのが、
寺山修司『さらば、テンポイント』

もし朝が来たら
印刷工の少年はテンポイント活字で闘志の二字をひろうつもりだった
それをいつもポケットに入れて
弱い自分のはげましにするために


「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」


人生の空き地で聞いた希望という名の汽笛のひびき


さらば テンポイント
北の牧場にはきっと流れ星がよく似合うだろう

(一部抜粋)


こんなネットの時代でも、やはり外の刺激には叶わない。

実際にパドックの馬を見なければ、馬の調子は分からない。
感じるということが大切。


Sense of Wonder.

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。


書を捨てよ、町へ出よう。