3.11の自分記録

3/11に発生した「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」での自分の記録を書き残しておく。覚えている範囲で。

地震発生まで

朝6時ぐらいに一度目が覚める。

引き続き晴れている。快晴。そして寒い。

会社の創立記念日

当初の予定はUMTP L3の集いがあり、定時後に田町へ行く予定。

Instagram(twitterの写真版みたいなサービス)に関連する記事を読む。

通常通り、東京の大久保にて仕事をする。

昼食。金曜日シャッフルランチ。Aさん誕生日。

地震発生

いつもの軽い地震だとタカをくくっていた。

でもなかなか収まらない。

フロア騒然。

机の下に隠れる。本当の地震では、人生で初。

後から聞いたところによると、後ろの壁と天井の間に大きな隙間ができていた模様。
外からビルを見上げていた人がいて、おそらく大きく揺れていたのだろう。
日々、消防車の数は多く通る場所であるが、消防車や救急車のサイレンの音がいつもよりも気になる。

何度も余震あり。

揺れで若干気持ち悪くなる。

帰宅までの道のり

17:30ごろから帰宅。

予定していた、UMTP L3の集いは中止。

ウォーキング

大久保、新大久保、新宿、代々木、原宿、渋谷、恵比寿、と明治通り沿い中心に歩く。

3月にしては寒い日。寒い日に大きな地震が発生している気がするのは気のせいだろうか。

普段運動しないのでこれだけ歩いて疲れた。

先日、ズームインスーパーで町をぶらぶらする、町歩きが流行ってるらしいというニュースがやっていた。ブラタモリモヤモヤさまぁ〜ず2の影響か。
このときは、強制的に町歩きせざるを得ない状況だった。

歩いている間、タクシーはつかまる気配は無かった。
唯一、大久保から新宿の間(東京都道302号新宿両国線)で前の人たちが空車を捕まえてたのがチャンスだった。

途中、渋谷の手前の公園で少しトイレ休憩。

渋谷のファミリーマートへ入る。
おにぎり・パンが全く無かった。
とりあえず缶コーヒーを購入。

作戦会議

恵比寿まで歩いた後、飲みながら作戦会議。「TSUBAKI」という飲み屋。
エレベーターが動いていなかったため、8Fまで階段で上る。
このタイミングで飲むのはあまり宜しく無かったかもしれないと、後で少し反省する。
ただ、こういう時だからこそ、というもある。結果からすると良かった。
鍋が無かったので、代わりに頼んだお茶漬けは本当に温まった。

実家から親、会社の上司などから次々と連絡が入る。
電話もこちらかは発信できないが、着信はできる模様。

これからどうするか、まだ決まっていない。

ジーンズメイトがあったら、動きやすい格好に着替えて頑張って歩いて帰る、という案。

川崎ナンバーの車をヒッチハイクの案も出たけど、そこまでの勇気はまだ無い。。

とりあえず、ネットで情報を探したり、電話があった知り合いに問い合せたりする。

帰宅困難者

帰宅困難者の受け入れ施設に、恵比寿ウェスティンホテルのロビーがあるという情報。
恵比寿ウェスティンホテルは、恵比寿ガーデンプレイス内にあるホテル。

ということで、恵比寿ウェスティンホテルに向かう。

恵比寿ウェスティンホテルに到着して、休憩。
既に多くの帰宅困難と思われる人たちで埋め尽くされている感じだった。
タクシーは100組以上待ちだったため、期待は薄い。

温かいコーヒーを無料で提供してくれていて、ありがたかった。

再び動く

東急が動き出したという情報。

1:20ごろ、動き出す。
目黒まで歩き目黒駅へ。

東急目黒線で目黒から武蔵小杉まで。

武蔵小杉で川崎市バス

バス待ち体感30分ぐらい。

でも動いてるだけで有難い。タクシーはさらに待ってたと思う。

その後、電車、バスでなんとか帰宅。


アゼリア地下街、避難所になっていて凄い人の数でビックリした。。

川崎市役所、電気ついてるのは珍しい。

第一京浜、帰宅を目指す人と思われる人が多く歩いていた。

帰宅

夕方17:30ごろ大久保を出て、川崎に着いたのが3:45ごろ。

エレベーターに乗ろうとしたら動かず、ボタンを3回ほど押して、地震で止まっていることに気づいた。

階段を使う。

結局、家の被害はほぼ無かったので、それはありがたかった。
台の上に載せていた大きめのプリンタなどはやばいかな、と思っていたけど。。

地震発生の翌日(3/22)

疲れなのか何なのか影響は分からないけど、寝たり起きたりを繰り返す。

5時頃寝た。
6:30ごろ母親の電話にて起きる。

ニュースを見る。

寝る。

午前中10時ごろ起きて、ニュースを見る。

寝る。

昼ごろ起きる。昼食。

13:00ごろ本日予定していた飲み会(鍋)の中止連絡が入る。

ニュースを見て数時間後に寝る。

18:30ごろ起きる。

その後もさらに寝たり、起きたりを繰り返す。

最後に

今まで自分が体験した地震で最も大きな揺れだった。
貴重な体験。この経験を今後に活かしていくべき。

Twitterなどネットから得られるよりリアルな情報がすごく有効だった。


3.11もいずれ記憶は薄れていくだろう。

覚えておくこと(思い出すこと)が大切なことがあると同時に、忘れることも大切なことがある。

大切なことを残して、未来を生きるために忘れる。
思い出すために、忘れるために、3.11の書き残した。